世界の高齢者


アマゾン先住民の暮らし
「医学進歩=幸せ」でないことも
 アマゾンのジャングルで、年数か月、先住民と生活を共にする、NGO熱帯森林保護団体代表の南研子さんの話しを聞いた。インディオと呼ばれる先住民たちは、独自の文化を崩さず、自給自足の狩猟採集の暮らしを営んでいる。電気、ガス、水道がない。トイレは座った場所、川での水浴は、リラックスできるどころか、緊張の極致だという。自然と共生できると考えるなど傲慢すぎる。ただ、服従して生きなければならないと思い知らされていると語る。
 医師はいないが、薬草が約6000種、呪術師が、病気の精霊を追い出してくれる。長患いをする患者はなく、生活習慣病は皆無だという。寝たきり、認知症の老人は見かけず、ノイローゼに悩む者もいなければ、自殺、いじめもない。
 一度停電をすれば機能がマヒしてしまう文明社会とは、全く違う世界が展開する。子どもは、望んで生まれてくるもの、森のおきてを教えるのが親の役割だ。大人になるためには、女の子は自分を見つめるため、1年間の蟄居生活をし、男の子は毒物をあおり、死の恐怖を乗り越えなければならない。文字が存在しない。長老になると、彼らの経験が図書館の役割を果たすことになるので、いつまでも現役だ。死は新しい世界への門出であり、死者と生者は語りあうことができるので、いかに幸せに死ぬかが、一番の関心事になる。
 さて1月末、日本老年医学会は、終末期医療で見解を発表した。患者の尊厳を損ない、苦痛を増大させる可能性がある時には、経管栄養や人工呼吸器による延命治療は、差し控えることも考えるべきと提案する。インディオの暮らしぶりを知り、生きることの意味を考えると、医学の進歩が、私たちの幸せに必ずしも結びつかないケースがあることがよくわかる。
日刊工業新聞 2012年2月3日

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